私はあなたを軽んじません。のお話
2022年 10月 02日
最近、法華経を勉強しています。という方とお知り合いになることが時々あるんです。
きっとこれは、天界から「学びなさい」と言われているのだろうなぁ…と思います。
法華経がお好きな方は、どんなところに惹かれますか?
その時々に自分が置かれている状況などの変化によって、心に響く場所は異なるようです。
私はブログやメルマガのネタ探しのため、本を読んでいて「いいな」と思うところには付箋を貼ります。
結構付箋だらけですが、過去の自分の付箋の場所に「へ~。おおっ。あらっ」と驚くこともしばしばです。
あのとき、どんなことを考えていたのかな?
と昔の自分に思いを馳せます。
大体思い出せませんが(-_-;)
私がこの前付箋を貼ったのは、第十九章 常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつぼん)です。
ある菩薩さまがいました。
その菩薩さまは、出家であれ在家であれ、男性であれ、女性であれ、出会う人ごとに近づいてこのように言いました。
『私はあなたを軽んじません。あなた方は尊敬される立派な如来になるでしょう』
しかし、そのように語り掛けるだけで、教義を解いたり、ご自身のために経典を学ぶという事はされなかったそうです。
その姿を見た仏弟子たちは、大変不快に思って非難しました。
相手がどんな人で、どんなことを思っているかも知らないで、よくそんなことが言えるものだ。
相手から望まれてもいないのに、勝手な予言をするな。
大体、教義を勉強してもいないじゃないか。
いい加減なことを言うな。
と。
これは現代社会でもよくあることですね。
スピリチュアルや仏教の世界にもあります。
「ちゃんとした資格を持っていないじゃないか」
「学校を出ていないくせに(学歴がないくせに)」
「どこの学校をいつ出たんだ」
「どこの先生から教えを頂いたのか」
「お前は何宗だ」
「僧侶でもないものが僧侶を騙って、偉そうに仏教を語ってケシカラン」
みたいな感じで、枚挙にいとまがありません。
経典読誦とは、仏道修行の基本であると言われています。
そして、日々怠惰に流されることなく、時間をかけて丁寧に礼拝供養を行うことが最も尊いと認識されています。
それは、大昔も今も変わらない「一般常識」のようですね。
しかし、仏教とは「正座して何時間も経を読むこと」が目的でしょうか?
仏さまからの教えを、自分の人生で実践することが目的でしょうか?
私は後者だと信じています。
勤行に時間が割けない。
勤行に集中出来ない。
勤行が苦痛だけれども、いつかはしないといけないと思う。
じゃないと祟られるかもしれない。
このような思いは、目的と手段とを取り違えているために起きるのではないでしょうか。
十九章の教えとは「他人を軽んじない行いが法華経」だというところにあると思います。
事実、私が読んだ本の解説にもそのように書いてあります(笑)
書いてあること(教え)の実践が、行動を通して経を読むことになる。
仏さまの御心にかなう生き方となる。
そのように物の視方を広げてみると、人生もより一層豊かになるように私は思いますよ。
この記事は明珠が書きました。
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